中納言局(ちゅうなごんのつぼね、治承5年(1181年) - ?)は、鎌倉時代前期の女官。平家一門の平知盛の娘。母は治部卿局。後堀河天皇の内裏女房。藤原範茂の妻。子に範継、女子(藤原隆親妻、のちに離別)。

治承・寿永の乱の最中に誕生し、間もなく生家である平家一門は安徳天皇を擁して都を落ちる事となり、父母と共に西走した。兄知章や父知盛は合戦の中で討ち死に・自害を遂げ、母治部卿局は生き延びて娘と供に都へ戻った。建久7年(1196年)、同母兄の知忠が謀反を起こして梟首されている。

承久3年(1221年)6月の承久の乱では、夫範茂が後鳥羽上皇方の首謀者として処刑された。16歳であった子の範継は助命された。

乱の後、鎌倉幕府の意向により、母治部卿局が乳母を務めた後高倉院の子である後堀河天皇が擁立される。中納言局は後堀河天皇の内裏女房として仕え、『明月記』(嘉禄元年(1225年)5月13日条)に「権勢の女」と記されている。

参考文献

  • 角田文衞 『平家後抄〈上〉落日後の平家』 講談社学術文庫 2000年(1981年刊行)。

豊原国周 「明治二十一年第十一月演 義経千本桜 大物の浦の場 市村座」「典侍の局 中村福助」「新中納言知盛 市川団十郎」「相模五郎 尾上

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平家物語 巻第十一・壇の浦合戦『新中納言知盛卿…』 (原文・現代語訳)

芳年 芳年武者旡類 新中納言平知盛 浮世絵 原書房 神田神保町