石坂 専之助(專之助、いしさか / いしざか せんのすけ、1849年9月14日(嘉永2年7月28日)- 1915年(大正4年)10月6日)は、明治期の教育者、公吏、政治家。衆議院議員、富山県会議長。旧姓・嵯峨。
経歴
越中国新川郡東岩瀬村(石川県新川郡東岩瀬村、富山県上新川郡東岩瀬町を経て現富山市)の伝馬問屋・嵯峨健寿の三男として、金沢十三間町(現金沢市)で生まれた。その後、新川郡栗山村(中新川郡早月加積村栗山、滑川町を経て現滑川市 )の石坂太郎左衛門の養子となる。
1869年(明治2年)大学南校に入学。卒業後、大学少助教、慶應義塾教授、文部省出仕、同人社教授を歴任したが、1877年(明治10年)病のため帰郷した。
1879年(明治12年)栗山村外5カ村公選戸長に就任し、その後、江沼郡書記となる。1881年(明治14年)石川県会議員に選出。その後、富山県庁農商課長となる。1889年(明治22年)退官し、中越大同倶楽部の幹事に就任。1890年(明治23年)富山県会議員に選出され、同議長を務めた。
磯部四郎の辞職に伴い、1890年(明治23年)11月に実施された第1回衆議院議員総選挙富山県第1区補欠選挙で当選し、衆議院議員に1期在任した。
その後、富山県上新川郡、礪波郡、射水郡の各郡長を務めた。
親族
- 父 嵯峨健壽 東岩瀬大村屋 金沢に移り藩医黒川良安に従事し医業を成す
- 兄 嵯峨寿安(日本人初シベリア横断者)
- 弟 嵯峨正作 東岩瀬大村屋
- 長男 石坂友太郎(九州帝国大学教授)
- 三男 石坂伸吉(金沢医科大学長)
脚注
参考文献
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 衆議院事務局『第一回乃至第十九回総選挙衆議院議員当選回数調』1936年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『富山大百科事典 上巻』北日本新聞社、1994年。




